将来の日本の食と生活環境に...

最近の食糧事情を取り扱ったテレビ番組で、頭良さ気なコメンテーターが「外国のものでも安ければ買うに決まってる。日本はさらに農業生産効率アップの努力をするべきだ」と言っていました。もっともなご意見です。さらにその数分後に「美しい日本の谷津田の景観や農村環境を農家は守るべきだ」といってます。谷津田で外国の大生産地並みに効率を上げて、環境を守れということでしょうか?しかも「農家が」もっと頑張って。一生懸命がんばらなければならないでしょう、田畑を耕すのは紛れもない農家ですし。理屈はごもっともですが、こんな話は現実を知らないその方達が座っている机の上と、その良い頭の中で考えた空想にすぎないと思います。

環境ビジネスに従事した経験から、あらゆる工業製品は近い将来しかるべき必然として、さらに本格的に環境を守るためのコストを含む様になると思います。環境汚染が激化している現在、この美しい日本の環境を守るためのコストを意識することが急務だと思います。

私たちを支える食べ物はもはやほとんど全てが輸入によって支えられています。さらにこれを支えているのは、優れた工業製品の輸出から得られた富によってもたらされています。しかもその食料は第三国から搾取しているものもあります。つまり食べ物は買えばよい。買うためにさらに工業製品を作る。買えばよいから食料生産の現場は遠くなり環境への認識は益々低くなり汚染させる。つまり結果として、買う我々自身の環境を汚染するだけでなく、その第三国の環境をも破壊するという、見事な悪循環ができ上がっています。もちろん工業製品を作ることが悪いわけではありません。

問題なのは食と環境を分離した意識です。私たちが住んでいるのは紛れもなく小さな島国日本です。また地球規模で考えても、閉ざされた地球という一つの星でしかなく逃げも隠れも出来ません。つまり生活する上で常に環境を意識することは本来当然のことだと思うのです。

命という単位で考えた場合、直接生活では例えばガソリンや電化製品は食えないので無くてもすぐに死にませんが、食べ物が無くなれば生命は維持できません。しかし社会的に見れば工業製品はもちろん食物でさえ大型機械による生産、運搬、保管のすべてを化石燃料に依存しています。化石燃料は第三者エネルギーです。周知のことですが日本では生産できないのです。当たり前の事ですが化石燃料が無くなればコンビニエンスストアや食料品売り場からほとんどすべての食べ物は姿を消すということです。

生きる糧の全てである食料もエネルギーも私たちは今、第三者に依存しているのです。この社会システムの持つ自己矛盾を真摯に受け止め考えなければならないと思います。つまり日本の農業は美しさだけでなく必要な社会システムの一部として守らなければならないと思います。

私の営農指針の一つとしては野菜や米を作ること、そして消費してもらうこと、そのつながりそのものが自然環境と本来の社会システムを守ることにつながるということを常に意識し、それが感じてもらえるような農家になりたいと思っています。

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