今回は私の任地、クエンカの紹介をします。
マニラ首都圏から南に90㎞ほどのバタンガス州の町で、2020年に噴火のあったタール火山のカルデラ湖であるタール湖の南岸に位置します。
人口は36,235人(2020年)、面積は58.18㎞²。年間予算3億円。
私の住んでいた熊本県の西原村は人口6,614人(2023年)、面積は77.22㎞²。年間予算53.6億円ほど。出発前の挨拶で西原村の吉井村長がクエンカの予算に驚いていたのが印象に残っています。
西原村と比べると人口が多く、人がたくさんいます。小さな町だと聞いていた私は、人の多さに圧倒されています・・・。もっと静かな田舎町を想像していました。
中心地にある教会
JICAの方や同じ協力隊員からは「田舎でしょう?大丈夫?」と心配されていますが、そりゃあマクドナルドやスタバはないけど、こちらは田舎暮らしも長いので大丈夫です!(多分)
フィリピンに着いて一週間後、お試しでクエンカに約1週間滞在しました。そこで色々町の紹介や案内をしてもらったのですが、その内容が衝撃的でした。
まず、戦争で日本軍がフィリピン人を大量虐殺した谷に連れていかれたのです。
「この谷にフィリピン人を投げ入れ、日本人は上から銃で撃ったんだ」
住民虐殺の谷にあった石碑
その谷の横には小さな石碑があり、日付は1945年と書かれていました。他にも日本軍が潜伏していたというトンネルも見ました。雨の降るジャングルの中、道なき道を歩きました。そして配属先の人と握手をしました。
調べてみたら、日本軍による最大の住民虐殺のあったリパは隣の市で、ここクエンカでは少なくとも984名が犠牲となったそうです。一体どういうつもりでここに連れて来られたのか、真意はわかりません。ただ、こういう過去があったということを知っておいてほしいのかなと理解しています。
普段は明るくて親切で、日本が大好きなフィリピン人。
日本への感情が良いものへと変化してきたのは、先人たちの計り知れない償いの気持ちと行動、フィリピン人の寛容さもあったのかもしれません。
改めて、日本人として身の引き締まる思いでした。
ではでは。
Salamat po
(2023.9.8)
クエンカに到着時、バス停で横断幕を持って待っていてくれました
ローカルマーケットの野菜売り場
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